ぬめりブログ

いろいろ書いてみたり、憧れてみたり、届かなかったり。かびくさい名前ですが、ゆっくりしてってくだせぇ

『外でしたい』というか『内でするな』

おうちでパソコンやスマホを前にしても何を書こうか浮かんでこず、ブログは一文字も進まない。

何を書こうか考えずに編集画面を開いてみても、ネタがないのだから書きようがない。

 

かと言って、何も書かずにブログを眠らせると常態化してしまう。なんでもいいから書くか。さて何にしよう。

通勤中の車の中でラジオを流して景色を見ながら考えてみたり、お昼休みに花びらが舞う桜並木沿いを歩いてみても

なかなかヒントは見つからない。諦めて職場で仕事をしていてたらなぜかなんとなく書けそうな気がちょろちょろと湧いてくる。

 

よし、メモでもしてあとで休み時間や夜に自宅絵書いてみるか。

いや、それでは時間が足りない。旬を逃すと書く意欲も考えていた表現なんかも失ってしまう。

しょうがないバレないように下書きでもいいからつくるか

 

大体こんな感じで

何か書きたいな、なに書こうかなと思っているとグルグルと同じ思考を繰り返し、アイディアが浮かんでこない。

仕事中など書かなくちゃという気負いがないときのが、降ってきやすい。

アイディアの芽なんてのはいつ出てくるかな、もっと肥料をあげた方がいいかなと気にしすぎると逆に出てきにくい。

スマホなんか見て必死でネタ探しなんてしていても、そこは荒波打ち付ける岸壁のごとく雑草すら生えてこない。

ネットブラウジングSNSを利用しているときは、受動的なスイッチに入っているのも影響しているのかもしれない。

 

やはり仕事してるときみたいに、能動的に動きつつ、ネタ探しから頭を離れさせた環境の方がブログ作成にとってはいいように思う。

 

とまあそんなことを仕事もそこそこにキーボードにたたいているのだが

そうはいっても仕事ではないときに更新できるのがベストであるとは重々承知だ

 

なるべくならブログ更新は「業務時間『外でしたいこと』」だよね。

というか『内でするな』

 

今週のお題「外でしたいこと」

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よし、物欲を持とう。

さいきんはシンプルな生き方が推奨されたり

ミニマリストよろしくモノを減らして、モノに捉われない生活がもてはやされたりしてる感がある。

別にその風潮には異論はなく、各々が気に入った生活スタイルを幸せに過ごしているならそれはそれでいいと思う。

かくいう自分もモノが多くなるのはあまり好きではない方だし、割と質素な暮らしをしている。

もともと物欲が少ないっていうのものある。

 

以前会社の人とボーナスで何を買うかという話をして、そこから歳を取ると物欲が無くなるという話を聞いた。

昔からそれほど物欲がない自分にとってはピンとこない。

どう変わるんだろ?何も変わらないのかな。

そんな疑問から、「自分はこのまま物欲が湧くことなく『ほしいもの』でなく『必要なもの』しか買わないのか。とも思った。

そう考えると、このままな少ない物欲がさらに減っていくことに急につまらなさを感じた。

どことなく少し味気なく、無色な人生であるイメージ。

 

物欲はともすると悪しきものと捉えられがちで、少ない方が良しとされる傾向にあるけれど

モノが欲しいというのは、いい面もあると思う。

新しいものに目を向ける興味、好奇心、それを所有・使用した時の期待感。想像力。

物欲を肯定することで、モノに対して関心が持てる。世の中の目に映るものの中で「いいな」と思える対象が増えるのだ。

 

よし、物欲をもとう。ミニマリズムを逆流するのだ。

少しはワクワクすることがあるかもしれない。f:id:getahossan:20240412205944j:image

まずはパジャマを畳んでみた。

きちんとした生活にはあこがれるけれど、なかなか習慣化しない。

車のトランクにはなにかしら家に持ち運び忘れたものが常駐しているし。

出勤時に社員証スマホといった忘れ物も少なくない。

ある分野において秀でた才能を持っているわけでもない自分にとっては、

これらの特性は「個性」と認められず単に「だらしがない」という欠点で終わる。

 

少しは整理整頓できる人になって欠点をマシにしておこうかなと思ったとき、

自分を変える簡単なきっかけとして

『朝起きた後の、パジャマを畳むことから始めるといい』と聞いたことがある。

普段脱ぎっぱなしにしがちなパジャマ、それを朝着替えたときに畳むのだ。

すると今度は自然と起きた後のベッドも整えるようになる。

そして寝具回りだけでなく家のいろんなところで、正していく、整理整頓するという行動が波及していき、

生活全体がきちんとなるのだという。

 

なるほどね、ハードルが低いのはいい。

パジャマからその他の活動に及ぶ波及性が実際どれほどであろうと、失うものはほとんどない。

 

というわけで、

今朝これを実践してみた。

朝食後に身支度を整える際、いつもはどうせ夜着るからと適当に放っておくパジャマを畳んで棚の上に重ねてみた。

 

なるほど、ちょっと自分が「ちゃんとした人」になったように思う。

ここまでやったら布団も正しておくか。自然な流れできるもんである。

明らかに意識と気分が変わる。

清々しい気分だ、春風が余計に気持ちいい。

 

昨日の自分とは違うんだぜ、今日からおれはきっちり人間だ。

「A型っぽいですね」って言われてやるんだ。

そんなことを考えながら出勤する車の中で、ひげを剃るのを忘れていたことに気づいた。

まあ仕方ない、イレギュラーな行動を取り入れた際には何かが抜けちゃうこともある。

マスクを着けてりゃ大丈夫。と思いダッシュボードを開けたら

マスクの箱がちょうど空になっていた。

 

ルームミラーに映る無精ヒゲの自分が、だらしなさの権化に見えた。

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今週のお題「きれいにしたい場所」

無理矢理にでも更新することの意味

おひさしぶり。

ブログに書くほどのネタもないなぁなんて思ってしばらくサボってましたよ。

でも更新しないことでの弊害が大きい気がして、無理やりでも書くことにした。


更新しないことで生じる弊害①

…書くことへのハードルがあがる(習慣化しづらくなる)

時間を置くと「次に更新するときにはそれなりのこと書いた方がいいかな」と考えてしまい書き控えてしまう。

世の中の人が面白いと思うかどうかとは別に、

自分の中で一定以上のレベルを超えたネタでないと出していいものかと思ってしまうのだ。

そうなるといつまでたっても書けない。

一旦ハードルを下げて『更新すること』にウェイトをもっと持っていこう。

 

更新しないことで生じる弊害②

…感度の低下、文章能力の低下(インプットアウトプットレベルの低下)

書こうとすると、それなりにネタを探そうとする。

そしてその見つけた材料を自分なりの表現で文書化してブログにアップする。

「ネタを拾う」→「租借」→「ブログに書く」

のサイクルを回すことができる。

更新が止まるとこのサイクルが止まってしまい、感度やスキルの低下などある種の停滞感を感じてしまう。


義務感とまではいかないまでも、ブログの更新をこころがけ習慣づけることで

インプットからアウトプットまでの能力を維持していけるんじゃないかな。

 

 

といったことを書くと、「これから毎日書きます!!みなさんこうご期待!!」

となりそうなところだけどそうはいかない。

夜は眠くなるし、時間があったらネットしたり散歩したり、更新する時間を確保しようなんて気はさらさらなく

これからも時間があれば好きなことをしていると思う。


そう。結局のところ自身の言動、心情、環境何一つ変わっていない。

そんな内容。

でもブログ書いたよ。気が楽だよ。

なんとなくハードルを下がった気がして、次の更新がしやすくなったような気がするよ。

『なんてもいいから書くこと』の良さの一部を体感した感じになる、という更新でした。

改善などしない

やろうと思っていたことを結局、やらずに過ごしてしまった。

これではだめだ、改善しよう、と思い

できなかった要因を考察し、

対策を考える。

さあ次からガンバルゾ!


的な記事を書いていたが、あげるのをやめた。

つまらないからだ。

読んでても、書いてても。


日々の生活を改善していこう、

課題に対していろんな発想で解決策を考えていこう。

上手くいかなかったことを次はできるようになろう。


こんな取り組みは世の中に腐るほどある。

でもそれをいちいちブログに書きたくなるのは

・改善しようとする姿勢が、正しく見える。

・事象を分析し、課題を抽出し改善案を挙げて実行するところにできそう感がある。

・その結果、課題を解決して、生活の質を向上できる様子もかっこよさげ。


できるっぽく見せたかったのか、かっこよく見せようとしていたのか。なんでもいいけど、小賢しくてカッコ悪い。


できなくてもいいじゃん。

なんでもスマートにできるようになろうとするな。かっこつけるなよ

本心でよくなりたいと思うことは、ブログに書く前にどんどん改善が進んでく。


自分の行動を「こういう姿勢が望ましい」基準で決めるんでなく

もっと自分の感性に従っていかなくちゃぁだめだ

むしろ呪われてた方がいい

「魔法のステッキ」より「呪われた巻物」に魅力を感じる。

 

「魔法の〜」がつくとポジティブさがあふれ、夢の素敵アイテムとなるけれど、

「呪いの〜」がついていると、ネガティブな印象が強く忌避の対象となる。

前提として、どちらのアイテムにも一定以上のポジティブな効果を持っているものとしたとき、

自分はどちらかというと後者の方に興味を抱いてしまう。

無条件でなんでもできるものより、リスクを負って何かができた方がかっこいい。

強大なエネルギーをぶつける代わりに寿命が縮む。

願い事をかなえてもらう代わりに、大切な記憶を失う。

 

強力な効果を得るために、何かを差し出す。

ハイリスクハイリターンだからこそ使いどころを考えるし、

使うその瞬間に、使用者の覚悟を感じる。

 

そんな感じでアイテムに素敵(?)な効果を増やしてくれる呪いだけど、
日常品につけてみたらどうだろう?
呪いの水筒
呪いのシャープペンシル
呪いの電子マネー
普段使いするものに付けるもんじゃぁないな。
こわくて生活できん。

とまあ、生産性のないことを考えながら仕事を終えて定時に帰る

 

そんなこと考えながら、定時で退社する。

早く帰れるという嬉しい効能を手にするが、

その後本人がいぬ間に、仕事が振られ、机に積まれていく。反動がでかい。

まさに呪いの定時退社。誰にでも簡単にできる呪いの儀式である。

 

これが呪われてるのはどう考えてもおかしいと思うが。

胡散臭いメンタルカウンセラーみたいな事を言ってみる

近頃、気づくと肩に力が入っていて呼吸が浅くなったり。

頭の中で考えがグルグルとめぐり、不安を感じることはありませんか。

心配や悩みが終わりなく続くような感覚に陥り

気持ちを落ち着かせたいけど、どうすればいいのかわからない。

 

これらは心が硬くなっているから生じているといえましょう。

 

私たちは運動の前に、ストレッチをして体をほぐしたりします。

ストレッチは怪我の予防に効果的で、逆に体が硬いと怪我ばかりか日常生活においても体調悪くなりやすいとも言えます。

心にも同じことが言えて、心が硬い状態だと気持ちの動きがぎこちなく、メンタルの不調を訴えやすくなってきます。

ですから心にもストレッチが必要なのです。

 

座禅、瞑想、マインドフルネス。これらは呼吸に意識を集中して自身の精神状態を整えるという点において効果があり、

日常の気持ちの負荷をリセットさせて精神を正常な状態に保つ。心のストレッチともいえるでしょう。

 

心をほぐす方法としては瞑想だけでなく、誰かと話して胸にたまったモヤモヤを吐き出すのもいいと思います。

自分の中にある捉えどころのない不安や悩みなどが、会話を通して言語化するうちに次第にはっきりしてくる。

形が見えてくると最初は大きな不安だと思っていたことも実はそうでもないな、ということに気づくこともありますし、

たとえ大きい悩みのままであっても全体像が見えているかどうかではストレスも大きく異なってきます。

ですから、誰かに何かを打ち明けるというのは自分の気持ちを整え、健全な状態のままでいる点では非常に重要なのです。

座禅などが一人で行うストレッチとするならば、会話は誰かにほぐしてもらうマッサージのようなものと言えるかもしれません。

身体的なマッサージと同様に、一人で行うよりもリラックスした状態になりますし、さらに互いの信頼関係も深まることでより効果が高まるといったっ好循環が期待できます。

 

あなたの気持ちにある老廃物はあなたの思考を曇らせ、新たな行動の足かせとなり、あなたの成長を阻害します。

私との会話を通して、心をほぐし、コリを解消し、よどみを無くしていきましょう。

まずはメールにてお話を伺います。最初からお悩みを打ち明ける必要もありません。

他愛のない話題などだけでもいいんです。楽しく気軽にお話しましょう。

 

・・・・・

というところから個別にやり取りをし、

メール、電話、対面を経て最終的には壺的な何かを売りつける。そういう商法。

 

それでも露骨に価値のなさそうなものを売るのはだめだ。どうせ売るならそれ相応に価値がありそうなものの方が説得力が増すだろう。

とは言え高価な壺など持っていないわけで、

そうなったら自分でこしらえるしかない。

 

いい壺を作るためには技術が必要で、

まずはプロに指導を仰ぎ、りっぱなお皿や壺、湯飲みなんかを作れるようになれればいいよね。

 

ここにいい壺を作るためのメソッドやオンライン教室の案内なんかがあります

初期費用なんかはほとんどかからないと思います。

動画もアップしてますのでご覧頂けたら嬉しいです!

ご興味ある方はお気軽にご連絡ください!

 

・・・・

という風に

インチキメンタルカウンセラーで一儲けしようとしている人をカモにした陶芸教室の宣伝。

自分ちに窯の一つでもあればこういうのやってみたいよね。

 

そんなことをぼんやりと考えてたらちょうどいいのを見つけた。

コスパ良くて品質のいい焼きものが作れるいい窯を!

詳しくは・・・・

・・・

 

というマトリョーシカ的構造。

仕事もせずに考えてる。