ぬめりブログ

いろいろ書いてみたり、憧れてみたり、届かなかったり。かびくさい名前ですが、ゆっくりしてってくだせぇ

「ライフハック的なことを提唱したくなる」癖

SNSとかやってるとライフハック的なことを提唱したくなることが多々ある。

ブログでもツイッターでも

「時間を有効活用するための方法を考えてみた。」とか

「□□という目標に向けての計画と実行の検証」とか

「俺流断捨離」とか

こういう類のを書いてみたくなる欲求がちょくちょく湧いて出てくる。

 

最近なんかは、ツイッターで一日一個、その日に行う小さな変化をサジェスチョンするアカウントなんかはどうだろうとか考えてみた。

導入はこう、

「毎日同じ日の繰り返しでは人は停滞してしまいます。日々の中にちょっとでもいいから昨日とは違う「変化」をつけましょう。変化はちょっとしたものでいいんです。小さな変化でも能動的に『変えている』という実感が得られることは、結果的に小さな変化の積み重ねが大きな習慣に変わっていくのです」という胡散臭い感じで始まって

毎日

「朝起きてベッドメイクをしてみよう」

「一日の中で何もしない時間を設けよう」

「帰り道、いつもと違う角で曲がってみよう」とか)

てのをつぶやくのだ。

 

なんでこんなにライフハック的なことを提唱したくなるか。

理由は、この手の記事(やアカウント)はそれを作る過程で

①自分の生活を改善できるし、②その過程を記録として残すことができる。③そして記事を誰かに見てもらってほめてもらえたらさらに嬉しい。

という一石三鳥な効果が見込めるからだと思う。

良さそうだよね。でもね、良さそうだけどやっぱり結局やりきらずに終わってしまう。

「どーせこんなの誰かの何番煎じだろな」という気持ちと

これ系でフォロワーを増やす姿勢が、どことなく「当てに行っている」感じがして、どこかダサく感じてしまうからなんだ。自分でも相変わらずひねくれていると思う。

このひねくれが原因で、いろんなことに足を踏み込まずにいるために、実はもしかしたら結構なチャンスも逃しているのかもしれない。と今ふと考えてしまった。

素直になれるライフハックでもあればいいのにね。

「スマホでブログを書こうとしない」ヘキ

僕はパソコンで記事をつくることが多く、スマホではほとんど書かない。

なんならラインの返信なんかも長くなりそうなら一旦PCで作成してからコピペして送信するくらいだ。

理由は実に単純で、キーボード入力の方が速度が断然速いし、文章の校正なんかもしやすいから。

一応記事を書き始める前に、何を書くかはイメージしているつもりだが、頻繁に「打っては消し」や、「こっちの段落をあっちに持って行ったり」を繰り返すので、スマホだとまどろっこしくなってしまう。

 

文章作成以外にも物理的な問題もある。

スマホ入力が苦手、というかタッチ入力全般が苦手なのだ。

学生時代にバイトでレジのPOSをタッチする際も、反応する時しない時、二度打ちされてしまう時など多発。速く正確に入力することが困難であった。

今現在もタッチパネルには悩まされている。アパートにある7桁のコードをタッチ入力して開けるロックも、慎重に一個一個入力している始末。

スマホも例にもれず、フリック入力がうまくできない

タッチ入力との相性が悪いんだと思う。指の皮がおかしいんかな。

いずれにせよ、物理キーがなくなってしまったらその瞬間淘汰されてしまう種族ではある。

 

そんなわけでタッチパネルとの相性が今一つな僕だけど、

スマホで更新する姿にたいして憧れを抱いているのも事実。

ちょっとした待ち時間などの隙間時間で日記をポチポチ更新してあげられるし、

何より場所やツールを選ばないのが「できる感」があって羨ましいのだ。

いつの日かスマホでススッと更新できる日を夢見ながら、今日もPCのキーボードをカタカタ打ってこの記事を書いている。

再開

しばらく放置しておりました。

アメリカから日本へのお引越しで

ちょっとお休みしてたのです。

こちらにもしばらくログインしていなかったけど、アクセス見たら真面目に更新していた時期よりも人が来ているではありませんか。

再開の後押しになりますね。

というわけで、また次回から「癖」について書いていきましょ。

ヘキ、へき、癖

『無くて七癖』とはいうけれど、自分にも何千個かの癖がある。

いい癖も悪い癖も両方盛沢山だ。

 

学生時代や新入社員時代は、できてる自分になりたくて

自分の悪癖はなるべ矯正しようと試みていた。

なんなら今も油断すると、ライフハックよろしく自分の悪習慣とか悪癖について

その仕組みを理解して、改善しようとかっこつけてたりもする。

 

そんな自分の癖やそれを克服する様子を記録し、見ごたえのあるブログとしてみんなに見てもらえたらさぞ有意義な電子空間になるんだろうけれど、

そんなカッコいいことをすることは性に合ってないような気がしてきた。

それに、よっぽど科学的で説得力があって、効果があるような取り組みを、楽しませる文章にして報告しない限り、そんな記事に需要ないしなと思う。

 

というわけで、自分の癖について、無理に改善するという方向性はやめることにした。少なくともここでその取り組みにてついて語ることはしない。

癖を自分の一部として認めて、それをおもしろおかしく表現した方が自分としても楽しいし、物事の新しい見方という観点でもおもしろいと思うんだ。

 

というわけで、今後「ヘキ」を書いていこうとおもう。

 

眠いと、こんなもんよ。おやすみなさい。

ソシャゲをやめる爽快感

お題「思い切ってやめてみた事」

 

何となく手持ち無沙汰の時間がありながら、読書や勉強をするのは気が進まないとき、

学生時代からゲーム好きだった性分も手伝って、何気なくアップストアでゲームを探してしまうことがある。

 

思えばそれが地獄の入り口。

 

本当にソシャゲはプレイヤーを引き留める仕掛けだらけでよくできている。

と言っても、今更その中毒性を生む仕組みを語るのは、何番煎じかもわからないので今回は割愛するけれど

その中毒性に時間を吸い取られるのは自分も例外ではなかった。

チュートリアル後の無料ガチャでそこそこ強いキャラが手に入ると序盤のステージを無双し、

ガチャの回数を重ねていくうちに他のメンバーもそろい始める。

プレイ時間が増えるうちに次第に「ここまでそろえたぞ、進めたぞ、強くできたぞ」「もうちょっとで、あれが手に入る」の思考に侵されてしまい、

積極的か惰性かはともかく、習慣化して開き続けてしまうのだ。

お金は使わないけど時間をとられているなぁという実感がありながら。

 

意識が変わるのは最序盤を抜けたあたりからだろう。

 

 イベント戦で戦う敵キャラに全く歯が立たないと、自分の現在地がまだゲーム全体ではスタート地点付近であることがわかり。

さらに、ゲームシステムを理解していくと、キャラを強くするために必要なゲーム内素材、ガチャ回数、必要プレイ時間も見えてくる。

おまけに、攻略サイト等を眺めれば今しがた回したガチャのキャラがそんな強いもんでもないとわかり、がっかりするのもあって。

徐々に自分の中で「この先、どんだけやりゃいいんだよ」という気持ちが芽生えてくる。

 

ここからは「ここまでプレイしてきたから」と「この先どれだけやれば」のせめぎあい。

「続ける理由」と「やめるきっかけ」を同時に探しているような不思議な感覚なのだが、

この時間自体、非生産的あることには変わらず、この両者のせめぎあっていることに無意味さを感じてきて、段々とゲームに対してもポジティブなイメージがわかなくなってくる。

 

そして、小さい画面の中で小さい動きをしてる、形のない単なるデータに意識や時間を割いていることや、

「とても楽しい」ならともかく、そこまででもないのに

ゲーム会社の思惑に見事にはまり、時間を吸い取られていく自分に対して

無性に腹立たしくなってくる。

 

ここまできたらもう後は勢い。

きっかけも何もなく、ある日突然衝動的に、

スマホのロック画面を解除。

無心のままゲームアプリのアイコン長押し。削除。

 

実に簡単。ツイッター上での変な卒業宣言もなんもいらない。

やるのはアイコン上の×ボタンをタップすることだけ。これでソシャゲはもうできなくなる。

 

しかしその瞬間はこんな簡単な作業をした直後に訪れる。

それまで自分の手足についていた重りが外れたかのような解放感と

この先自由に使える時間が大幅に増えることにより、選択肢が無限に広がるような全能感が湧きあがり、たまらなく爽快な気分になるのだ。

視界も思考もパァっと広がり、現実世界がこれまでとは違って見えてくる。

やった、おれは自由になった。ソシャゲメーカーよ、さらば。と足取りも軽くなる。

 

ソシャゲを始める前となんも変わらないのに、生まれ変わった気がするのは

自分がソシャゲ中毒から抜け出し、誘惑に打ち勝ち、沼から自力で脱出した勝者のような気持になるからかもしれない。

 

思い切ってやめた時の爽快感が病みつきになりそうで、

この解放感を味わうために、またソシャゲをやってみてもいいんじゃないかなぁとすらたまに考えてしまう。

悪習慣も改善されたし、今度は良習慣。となりそうな話

お題「始めるVS続ける 得意なのはどっち?」

少し前の記事で悪習慣について触れたし、次はいい習慣を始めて、それを継続させるお話。

 

悪習慣を断ち切るため、基本的に音もネットも遮断して、この文もオンラインで書かずに、Wordを使い、オフラインで書いてからコピペしている。しばらく電源を入れてなかった電子辞書も活用しながらね。

邪魔を排除して一つの作業に集中できているおかげか、すこしずつ生産性が上がった気がする。

 

まあここで、『一日の中の悪習慣に費やす時間を計測してビフォーアフターを比べる』なんてしたら、これまで試みた手法が科学的に説得力を持つものになるか検証できるのかもしれないけれど、そんなことはしなくていいよね

どうせここは科学的に効果のあるライフハックを提唱するブログでもないし、

悪習慣を辞めることに関しては「なんか無駄な時間が減ったな、調子いいぜ」というくらいの感想にとどめて、そこで生まれた時間の中で何を生み出すかを大事にしていきたい。

必要なのは辞めることでなく、その代わりとなる何かを始めること。

断捨離やミニマリズムなんかにしてもそうだろう。物質的、精神的にいろいろ捨てて、きれいになるのが大事なのでなく、そこで空いた時間的、思考的リソースをどう使うかが重要なのではと個人的には思う。

 

自分の場合、『学ぶ、読む、書く』の三本柱を充実させたい。

学ぶ:専門分野の知識、語学

読む:書籍(ノンフィクション、小説、ジャンル問わず)

書く:ブログ、日記、投稿(ラジオ、公募)

これらを習慣化したい。悪習慣を断絶後は良習慣の継続が課題になる。

完全に自分の時間が持てそうなのは23時~7時の間。この時間『以外』のいわゆる隙間時間をどれだけ目ざとく使えるかが大事になってくるだろう。

イレギュラーな隙間時間に素早く対応するポイントはどれだけ素早く行動を切り替えられるか

同時に一日の中にルーティンとして組み込むことも大事であろう。

 

・・・・・

とここまで書いて、なんか当たり前のことを普通に頑張ろうとしているだけの記事に、だんだん自分でもつまらなくなってきた。

やめだやめやめ。

自分の行動を改善する考えや記録なんてのは、ツイッターのアカウント名の横によくわからん肩書をつけてるような人達に任せておけばいい。もっとのびのび好きなこと書こう。

 

もっとくだらない、ばかばかしい、それでいて書いてて楽しいことを。

自由に書ける場なんだから、行儀よくしなくてもいいし、もっと自然体でいたいよねー。

ラジオにいくつか投稿してみての感想

最近ラジオにいくつかネタを投稿したりする。

送るネタは深夜ラジオだったり、ポッドキャストであったりするが、芸人ラジオの大喜利的なネタコーナーがメインだ。

採用不採用もあり、一喜一憂しているわけだけど、実際に自分が書いて送ったメールが番組内でパーソナリティが読み上げる流れの中で、いろいろ感じることがあった。

今日はそのことを書いていく

 

・端的に

メールは無駄な言葉はそぎ落としなるべくシンプルにする。冗長になるほど切れが失われる。ちゃんとボケを表現しきれていることを前提とするならば、文字数とボケのインパクトは反比例するとさえ思える。

 

・句読点をおき、鍵カッコを使う。

メールを打っているときは自分の中でストーリーが見えてるけど、読み手がそうとは限らない。どこで区切るか、間を置くかなど読みやすくなるような配慮が必要だと感じた。

  ”今日友人が昨日世界で5番目くらいにおいしいというカレー屋に行ったんだと言ってきた。

と書くよりかは

  ”今日、友人が「昨日、『世界で5番目くらいにおいしい』というカレー屋に行ったんだ」と言ってきた

普通、こんな読みにくい文は作らないけど、まだ下の方が構造が理解しやすいし、読む上での微妙な間の置き方、抑揚がつけやすくなると思う。要は親切。

 

・ネタを発想法

どんな時、どうやってネタを作るかってのはまだ固まっておらず、不意に『降りて』こないと思いつかない。ネタの発想法は今後の課題だ。

でも少なくとも自分にとっては、パソコンの前に座って「どうしよっかな」って考えるよりも、『何もしてない状態』で思いつくことの方が多いのはわかってきた。

ネタのきっかけになるかもとニュースやSNSを見ても結局、情報の波に漂っているだけで、自分の脳からは何も出てこない。遮断したところから生まれることのが多い。

 

・メールを送ることのメリット

noteではかなり質の高い文章を書かない限り、みんなに読んでもらうのは難しいが、ラジオなら、パーソナリティに声に出して読んでもらえる上に、何万人もの人に自分の文章に触れてもらえる。

それだけで貴重な体験なのだけど、採用という結果だけでなく、メールを作る過程においても得るものが多い。

番組宛に届く数多のメールの中から放送作家やパーソナリティの目に留まり、採用され声に出して読まれ、リスナーにも響いてもらえるように、と考えた時、

面白いことは前提として、なるべく読みやすく、一回聞いただけでわかりやすい文を作ることを心掛けなければならない。

そうなるとネタメールを作成する上では、上記の注意事項の他にも色んな注意点があるだろう。

それに気づき、自分のメールを改善しながらネタを考え、送るサイクルを回すうちに、

自分の発想力、文章の構成力や表現力が鍛えられるような気がする。ネタメールはトレーニングでもある。

ネタが採用されるのもうれしいけど、自分の中の気づきが増えることもまた嬉しい。

まだ全然読まれない貧弱リスナーだけど精進していくよ、

また送ろう。